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  3. 2019.01.23

実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第15回)
その業界に「未来」はあるか!? 後篇(ベンチャーウイスキー)


前回(前回記事はこちら→その業界に「未来」はあるか!? 前篇(WHILL株式会社))、ある商品分野に未来があるかどうかは、必ずしも統計数字から見えてくるとは限らない、というお話をしました。国内わずか2万台規模だった電動車椅子の市場に斬り込んで、日本はもちろん、海外でも話題をさらっているWHILLのことを綴りました。

今回もやはり、統計数字が雄弁だとは限らない、というのがテーマです。しかも、日本国内ばかりか海外でも熱い注目を浴びているというところまで、電動車椅子のWHILLと同じ。

どんな商品なのか。ページ冒頭の画像でピンと来た方も多いのではないでしょうか。今やジャパニーズ・ウイスキーの雄として国内外で極めて高く評価されている蒸溜所です。しかも国内で近年立ち上げられた後進の蒸溜所たちにも多大な勇気を与え続けている存在……。

埼玉県秩父市のベンチャーウイスキーです。ブランド名である「イチローズモルト」を挙げたほうが、「ああ、あの凄いウイスキーの話か」とお分かりいただける方が多いかもしれません。そうです。海外でも賞を獲り続けているほどにすこぶる美味しく、ウイスキー愛好家の心を捉えてやまない、あの蒸溜所……。

ウイスキー冬の時代に、あえて創業

ベンチャーウイスキーは2004年の設立です。これ、2つの意味で極めて異例の話でした。

まず1つめ。2004年当時というのは、日本国内のウイスキー業界は、あまりに逆風下にあったことです。大手メーカーはさまざまな施策を売っていましたが、それでも市場は縮小し続けるばかり。
未来のない商品分野とも考えられていました。そうしたなかでの設立というのは、考えようによっては、あまりに無謀ともいえたかもしれません。

2つめ。その当時、ウイスキーの専業メーカーというのは日本国内では存在していませんでした。ウイスキーというのは、作り始めてから最初のお金が入るまで何年間もかかります。
熟成に必要な期間が、他の酒類に比べてもあまりに長いのです。3年は当たり前ですし、物によっては10年、いやそれ以上です。

その間、収入の手立てはありません。つまり、ビジネスとして考えると新規参入は難しく、そのうえ、熟成を待つ間に他の商品で糊口をしのぐことを想定しない「ウイスキー専業」というのは、さらに厳しい。
それでもベンチャーウイスキーは、当時、国内唯一のウイスキー専業メーカーとして操業しています。

それでも設立に踏み切ったのには、背景がありました。ベンチャーウイスキーの社長の父は、酒造会社を営んでいました。ところが経営危機に陥り、売却を余儀なくされます。
この酒造会社にはウイスキー部門もあったのですが、売却先からはウイスキー事業からの撤退を要求されました。

まあ、当時はあれだけの「ウイスキー冬の時代」ですし、樽に寝かせておくだけの原酒はすぐにお金を生まないので、売却先(新しいオーナー)にしてみれば、そう判断するのは致し方なかったのかもしれません。

父の代までが頑張って熟成させてきたウイスキー原酒は、このままではすべて廃棄処分になってしまいます。それを避けて、父の代までのウイスキー樽を守るには、たとえウイスキー逆風の環境下にあっても、この酒造会社を退社して独立するしかありません。

そうして、ウイスキー原酒を引き取り、原酒の保存先を求め(福島県の酒造会社が引き受けてくれました)、そして親戚などから資本金を借り、2004年、ベンチャーウイスキーは、先の見えない状況のなかで船出することとなりました。

2000軒のバーを巡りに巡る

2004年の設立直後は、父の代までの原酒を細々と売るしかありません。当時の売り上げは月にわずか10万円程度だったといいます。

創業まもない社長にとって、やるべきことはたくさんありました。父の代までのウイスキー原酒は、いつか底をつきます。新たな蒸溜所をゼロから立ち上げなければいけませんし、なにより、ウイスキーの製造免許を取得しないと話は始まりません。
(法人が変わり、蒸溜する場所が変われば、製造免許はまた最初から取得し直しなんです。以前の酒造会社から製造免許を受け継ぐことはできないそうです)

そうした厳しい船出の同社だったのですが、蒸溜所の設立準備や製造免許の取得に向けた行動の傍らで、社長はある決断をします。
それは……。「バーを巡り歩くこと」でした。なんと、2年間で2000軒のバーを訪れたというのです。

「資本金を食いつぶすか、何かをつかむか。どちらが早いかの競争のようなものでした」

社長はそう振り返ります。でも、どうしてまた、バーを巡り歩いたのか。それも50や100ではなくて、2000軒ものバーを……。1日3軒以上、そしてほぼ365日、それを続けたというのですが、そこまでして尋ね続ける必要はあったのでしょうか。

「ウイスキーの国内需要は下がる一方で、周りからは『なぜ今、わざわざ参入するのか』と言われていました。だったらなおのこと、蒸溜所の知名度ではなく品質で選んでくれる存在に、ウイスキーのことを聞きたかった」

その存在とはつまり、プロであるバーテンダーですね。
確かに、ベンチャーウイスキーがこの後、新たなウイスキーを作ったとしても、無名の銘柄を一般の酒販店においてもらう戦術では、まず道は開けそうにありません。なにせただでさえ、ウイスキー冬の時代ですから。
2000軒のバーテンダーたちに出逢って、社長は何をつかんだのでしょう。

「まず、父の代までが作っていたウイスキーの方向性に間違いはなかった。試飲してもらって、それがわかりました」

そして、もう1つ。数多のバーで、重要な手応えを社長はつかみます。

「味の評価が高ければ、小さな規模の蒸溜所であってもマイナス要因にはならないと気づきました」

どういうことか。規模の大きさを追わなくとも、バーで要求される品質のウイスキーを作れば、バーテンダーはほぼ確実に振り向いてくれる、と理解できたというのです。有名か無名かはさほど関係ない、とも。

実際、スコットランドで最も小さな蒸溜所のウイスキーが、海をはるばる越えて、日本のいくつものバーに入荷し、飲まれているのを目の当たりにしました。

数や規模を追わなければ、事業は成り立つ。そう確信した場面でもありました。さらに言えば、ウイスキー逆風の時代であっても、美味しいシングルモルトウイスキーには確固たるファンが付いていて、こうしたバーでは老若男女がそれらを楽しんでいたんです。

つまり、こういう話です。統計数字だけを眺めれば、ウイスキー業界に未来があるようには感じられない。しかしながら、バーの現場をその目で見れば、小さいながらも市場は存在する。
そしてベンチャーウイスキーが目指すのは数や規模ではないのだから、その市場がある限り、また、美味しいウイスキーを提供する限り、たとえ小さくてもビジネスは成り立つ。

バーを巡っていくなかで、毎夜、新たな蒸溜所設立の夢をバーテンダーたちに語ったところ、多くのバーテンダーは異口同音にこう語ってくれたそうです。

「『いつか本当に蒸溜所が立ち上がって、ウイスキーが完成したら、うちのバーにも置きますよ』と……。そうした言葉も励みになりました」

最初に手応えを感じたのは、いつなのでしょうか。社長は2006年のことだったといいます。この時点では新たな蒸溜所は稼働できていません。
父が残してくれた原酒を用いた「キング オブ ダイヤモンズ」がウイスキーマガジンのプレミアムジャパニーズ特集で最高得点を獲得しました。さらにはワールドウイスキーアワードにおいても、国内大手2社の間を割るようにして、部門1位の受賞……。

ベンチャーウイスキー(イチローズモルト)ってなんだ? というふうに、国内外のウイスキー愛好家の間で、注目を集め始めました。

機械を容易に導入できないから…

社長によると、日本国内で単独のウイスキー蒸溜所として製造免許を取得していたのは、1973年のサントリー白州蒸溜所が最後(当時)だったらしい。今回のベンチャーウイスキーのケースは、実質的な新規参入ですからハードルは高いはずです。

「それでも、製造免許を取れない理由はどこにもない。そう自分に言い聞かせましたね」

それにしても……。成算はあったのでしょうか。

「成功の確率は五分五分と思っていました。でも、2000軒のバーの人たちが『完成したら置きますよ』と話してくれたのが励みになったんです」

ウイスキー製造免許は無事取得できました。2008年、ついに秩父蒸溜所が稼働します。
でも、ここからがまた大変です。資金にゆとりがあるわけではない状況下で、どうやって、多くのバーテンダーが納得するだけの品質を確保するのか。

「機械を容易に導入できないからこそ、人の力をもって、味や香りを逐一確認するようにしました」

普通の蒸溜所なら機械に委ねる工程も、社長をはじめとするスタッフの五感を駆使して、仕事を進めていったそうです。結果として、人間でしかできない部分を、ベンチャーウイスキーは最大限に生かした格好になったというわけです。

言葉までわざわざ考案して

2006年以降、ベンチャーウイスキーのイチローズモルトは、前述のように海外でいくつもの受賞を経験しています。
とはいっても、2008年に蒸溜所がようやく立ち上がったわけですから、3年熟成のウイスキー(つまり、父の代の原酒を使うのではなく、秩父蒸溜所で仕込まれたウイスキー)を発売できるのは、2011年を待たねばなりません。

コアなウイスキー愛好家がいるからといって、話題が続かなければ、ウイスキーをせっかく作っても、3年もの間、熟成している間に、ベンチャーウイスキーのことを忘れられてしまい、結局のところ、どんなに美味しいウイスキーが完成しても、誰も振り向いてくれなくなってしまうかもしれない。そうした不安は当然、社長のなかにありました。

では、社長はどうしたのか。社長には「ウイスキーは3年以上寝かせてこそ」との信念がありました。スコットランドでは「3年以上の熟成を経たもの」だけがウイスキーと名乗ることを許されています。
それに倣えば、社長は熟成が3年未満のものを商品化することはしないはずですね。実は日本では、3年未満のものでもウイスキーとして販売できます。いや、もっと正確に言えば、3年未満のものもウイスキーと名乗る義務があります。

社長は決断しました。3年に満たない短期熟成のものを発売したのです。資金が枯渇したために、売らざるをえないと考えて変節した?いえ、決してそうではないのです。

「このままだと、ベンチャーウイスキーの存在が忘れ去られてしまいますから、それをなんとか避けたかった。と同時に、短期熟成でも、ここまで美味しくなっていますよ、ここから近い将来に登場する3年熟成のウイスキーの新作を占ってみてください、というアピールをしたかったんです」

とはいうものの、日本での規則上、3年に満たない短期熟成物でも、カテゴリーは「ウイスキー」と銘打たないといけない。社長はそれがどうしても引っかかった。

そして社長は、「ニューボーン」という呼称を商品名として掲げました。つまり「日本でのルール上では、ウイスキーとならざるをえませんが、これはあくまで3年熟成に満たない商品です」と、買い求める人にはっきりとわかる形にしたのですね。

現在、後発の新規ウイスキー蒸留所が、やはりマーケティング上の狙いもあって、熟成1年、あるいは2年の段階で「ニューボーン」を販売する例が多いのですが、これ、ベンチャーウイスキーの社長が考案した呼称であり、戦術であったということなのです。

今では「ニューボーン」は、愛好家の間で、新しいウイスキー蒸溜所における未来の実力を測るための格好の存在として、人気は定着するに至っています。
新規の蒸溜所にとっては、この「ニューボーン」、ウイスキー愛好家やバーテンダーへの、3年熟成を経るまでの間の、いわば“お便り”として有効なものとなってもいるわけです。

第1号「ウイスキー」は即完売

2011年、ベンチャーウイスキーは、3年熟成を経た「秩父・ザ・ファースト」をいよいよ発売します。7400本と、この規模の新規蒸溜所としては相当に強気な本数を用意しましたが、発売日に即完売を記録します。

「『いつか出たら買うよ』と言ってくれていたバーテンダーが、みなさん購入してくれたのですね。だから完売となったのだと思います」

2004年の設立直後、2000軒ものバーを回っていなかったら、こうはなっていなかったと、社長は述懐します。先が見えないなかで懸命にバーを巡った社長の行動は、ウイスキー作りへの確信を深めたと同時に、このような形でも返ってきたのですね。

設立直後に月わずか10万円程度に過ぎなかった売り上げは、現在では月に1億円規模にまで成長したそうです。これで、ひと息つけましたか?

「いえ、この売り上げで得た資金で、新たにウイスキーを仕込んで、貯蔵庫で寝ていますよ」

社長に言わせると、ウイスキー蒸溜所にとっては、事業を守るのも、挑むのも、1つのことに尽きるのだといいます。

「それはストックの確保です」

確かにそうですね。ストックをなくすというのは、将来をなくすということに他ならない。だからこそ、すぐに売り上げにつながらなくとも、いかに長期熟成の樽を保持するかが極めて大事になってくるという話なのですね。

ものが売れている現場を見ること。たとえ小さな市場だったとしても、それがある企業にとっては十分な市場かもしれないと踏まえること。

この2点が、今回の事例から深く学べたことでした。
最後に、念のため、社長に尋ねました。先が全く見えなかった2004年からの2年間、2000軒のバーを回り続けるのは、つらくはなかったですか。

「いえ、私の人生のなかで一番楽しい2年間でした。バーテンダーのみなさんに、私の夢を聞いてもらっていたわけですから……。それに、好きなウイスキーを口にしている時間には、不安はさほど感じません」

腹を据えてかかる、とはつまり、こういうことなのかもしれません。

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北村 森/商品ジャーナリスト
サイバー大学IT総合学部教授
(元・日経トレンディ編集長)

執筆者紹介文:

富山県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。

月刊誌「日経トレンディ」編集長を経て、2008年に独立。
以来、商品ジャーナリストとして活動。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析、地方自治体や商工団体と連携する形で地域おこしのアドバイザー業務に携わっている。
2015~2016年、第1回「だれかのために考えた発明品アイデアプロジェクト」(東大阪ブランド推進機構)の総監修を担当し、全国からの反響を呼ぶ。
著作である『途中下車』は、2014年にNHK総合テレビにてドラマ化された。
2017年にはサイバー大学IT総合学部教授に就任(地域マーケティング論)。

サンデー毎日「北村森の一生逸品」、婦人公論「女の気になるキーワード」、家電批評「北村森のヒット商品虎の穴」、FCC REVIEW「旗を掲げる! 地方企業の商機」などの連載コラム執筆に携わるほか、NHKラジオ第1「Nらじ」など、テレビ・ラジオ番組でのコメンテーター、ゲスト出演多数。

日本マーケティング協会 マスターコース講師(マーケティング・コミュニケーション)
MM総研大賞 審査委員
富山県 推奨とやまブランド ものづくり部会 審査委員
いばらき大使/いばらきイメージアップ大賞 審査委員

Introduction

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